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【NEW!!】『東陣(ひがしじん)』から見た上京の歴史

 

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▲新春特別歴史シンポジウムの様子

 

2016年2月13日(土)に上京区役所で新春特別歴史シンポジウム「応仁の乱‐今輝け、東陣を訪ねて‐」が行われた。会場の上京区役所では当初定員180名を予定していたが、それを遥かに超え、立ち見客が出るほど大盛況の中の開催となった。

 

このシンポジウムに先立ち、昨年11月21日(土)、上京区役所主催で「応仁の乱東陣の地に1220年を訪ねて歩く」をテーマとしたまち歩きが行われた。ガイドは、シンポジウムのパネラーである国際文化政策研究教育学会員の古武博司氏と、上京探訪シナリオ研究会会長の豊田博一氏が担当された。上京には、応仁の乱ゆかりの地名「西陣」があるが、今回テーマとして取り上げられた『東陣』の名は残っていないものの、この地は『ものづくりの町・西陣』とは違う魅力を持っているということを、貴族の別邸となった平安時代以来、高い文化を持つ人々が暮らしたこの地域を実際に歩いて再認識し、参加者は大いに「東陣」を満喫した。

 

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         ▲室町時代、メインストリートだった小川通にて

 

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        ▲小川(こかわ)の流れを思い描きつつ、報恩寺に向かう

 

 まち歩きは上京区役所から、昔の小川(こかわ)の流域をたどり北へ。そして茶道文化の中心地、表千家・裏千家から、日蓮宗の寺々、応仁の乱勃発の地となった上御霊神社まで、長い歴史を通して権力者たちが住む場所となった「東陣」を巡った。それを踏まえ、今回のシンポジウムは、さらに「東陣」の魅力をひも解くべく開催された。

 

 

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▲後ろも横も立ち見の参加者であふれかえった会場

 

今回のシンポジウムは京都市考古資料館の副館長である山本氏による基調講演「応仁の乱と上京の史跡と遺跡」の後、山本氏をコーディネーターとして、中谷香上京区長、前出の古武博司氏、豊田博一氏、3人のパネラーによるディスカッションが行われた。

 

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今回のテーマにある「東陣」は、1467年から11年間続いた応仁の乱を経て、北は鞍馬口通、南は一条通、東は烏丸通、西は小川通は堀川通の間である東軍跡地に位置する地域名である。応仁の乱により、公家勢力・将軍の権威は失墜し戦国時代へと突入するなど、日本の歴史を左右した出来事である。

 

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      ▲地図の「上(かみ)の町」が、応仁の乱後の上京

 

しばしば、応仁の乱で京都が全焼したというイメージが持たれがちだ。しかし実際には、幕府有力者の武家屋敷と、寺院・神社が集中していた現在の上京に戦火が広がった。下京には両軍勢の兵站線(へいたんせん:戦場における物資の輸送や供給などを行うために確保される連絡路のこと)があったため被害は少なかった。そのため、上京の復興を被害の少ない下京から行うことで、比較的短い時間ですませることができた。この大乱がきっかけで現在のように上京下京の街ができたのである。

 

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     ▲応仁の乱後の上京を描いた上杉本洛中洛外図。ほとんどが「東陣」の地域である。

 

また、応仁の乱を機に地方から入洛していた勢力が、国に戻る際に、京都の文化を持ち帰ったことで、京都のみならず、日本の歴史に大きな影響を残している。戦火を逃れ各地に避難していた織物職人たちも、大乱後に京都に戻り西軍の陣地跡で織物作りを再開した。ここで作られた西陣織は、全国で売られ、その名はブランドとして全国に広まった。この「西陣」という地名は現在でもたびたび使われているが、「東陣」という名に聞き覚えのある人は、おそらくいないであろう。西陣が織物産業で発展していく一方で、東陣跡は政治・文化の面で発展した。「西陣」と「東陣」には大きな地域性の違いがあったのである。

 

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       ▲当時の建造物について、古武氏の解説にも熱がこもる

 

その時代に生きた町衆たちは、「東陣」での生活をどう捕らえていたのだろうか。応仁の乱を経て、自分たちの身は自分たちで守る必要性を町衆は痛感したのだろう。もう幕府や誰かが守ってくれる時代では無くなってしまったのだ。このことにより、町衆たちは自身の力を強め、自治や治安維持に努めた。このような町衆の性格は、現代に住む上京の人々にも受け継がれ、自治の文化や住む町への敬愛の心の育成につながっている。

上京は1200年の京都の歴史から、日本の文化に多大な影響を与え続けていた。つまり、上京には日本の歴史そのものが凝縮されているとも言え,上京を知ることは、日本を知ることでもある。

 

 
   

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▲2015年11月21日(土)まち歩きに使用したマップ

 

来年の2017年は応仁の乱のぼっ発から550年目である。多くの方にこの機会に一つの節目として、応仁の乱を通して上京への興味を深め、「東陣」を語ってみてほしい。

 

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▲シンポジウム後、出演者と取材者で記念撮影

 

*上京区内のまち歩きを楽しむための地図(京・上京探訪 まちあるきマップ)が区役所1階地域力推進室前に配架されています。この地図を持って、上京区内を散策なさってください。

 

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           ▲京・上京探訪まちあるきマップの配架棚

 

 

レポーター紹介

 

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記事執筆:中田 創(なかだ はじめ)

 

大谷大学 文学部 仏教学科 第2学年 大谷大学中央執行委員会所属。

4月から学生会中央執行委員長に就任予定。学校は出身地から通っているのですが、一日の殆どを京都で過ごす毎日を送っています。いつものところも大好きなのですが、休みに遠出して観光するのも好きです。  

 

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また、同時にこのシンポジウムに参加した、同志社大学の香西信宏さんも以下のような感想を寄せてくれた。

 

同志社大学法学部3回生 香西信宏

 

 京都といえばどこを思い浮かべるだろうか。清水寺、八坂神社など神社仏閣、嵐山の紅葉、三条や祇園四条の賑わい…。少し考えるだけでいろいろ出てくる。ではその中で上京区にあるものはいくつあるか。私は学生として上京区に移り住んで3年になるが、京都御所ぐらいしか思いつかなかった。恥ずかしい限りである。今回のシンポジウムでは応仁の乱を通して上京区の魅力を再発見するということで、京都市考古資料館副館長の山本さんをはじめ4人の識者にお話しを伺うことができた。曰く、当時は上京区が日本の政治・文化の中心であり、応仁の乱を転機に地方へも広がっていった、ということである。例えば室町幕府のあった花の御所、蹴鞠の宗家飛鳥井家、日本の織物の最高峰である西陣織を生産した西陣地区など、挙げればきりがない。つまり、上京区は今でいう東京都心に相当する場所であったといえるのではないか。「京都の魅力は上京区がないと始まりません」。識者の一人、古武さんの言葉にはっとした。今ではその面影は薄れてしまったが、散歩がてら当時の上京区に思いを馳せてみるのも面白そうだ。

 


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