HOME   >>  特集情報TOP  >>  金箔に見る和洋折衷 〜 箔屋野口

イベントカレンダー

リンクページ

アクセス数

カウンタ

金箔に見る和洋折衷 〜 箔屋野口

のぐち1.png

 

▲京都西陣の野口康さんによって作られた箔画の作品

 

 

 お寺、神社、お城。京都の宝物と言えば、だいたいこのような場所の中に隠れているとお思いになるかもしれない。しかし、歴史的に繊維産業で有名な西陣に、独特な金の宝物殿が静かに存在しているのをご存知だろうか。外国人にも日本人にも広く知られている「箔屋野口」の4代目である金箔職人の野口康さんは、40年にわたりこうこうと輝く箔を扱う仕事に従事している。

 アメリカで芸術を勉強している私は、箔屋野口のことを聞き、その伝統的な視覚芸術に魅了され、金箔を自分の目で見たいと思い、野口さんのお宅へ伺った。
 
 
 
のぐち2.png
▲箔屋野口の入り口
 
 
 
和洋折衷の箔屋野口
 
箔屋野口との初めての出会いの時、私は畳の部屋に座り、100数年そのままあり続けている立派な庭を拝見した。目の前には錆色の茶碗、右側には床の間。理想的な和室である。
 
のぐち3.png
▲和室と古代庭
 
 二回目の出会いの時は、広い食卓テーブルに案内され、外国人の憧れのティファニーのようなランプの下で野口さんにお目にかかった。不思議な赤と緑の光が反射した部屋で美術の分野における西洋と日本との相互的影響について意見を交わした。その様子を、横からクラーク・ゲーブルが笑顔で見ていた。野口さんが渡米した際に購入した貴重な写真が壁に飾られていたのだ。町家の土壁を除けば、まるで二十世紀のニューヨークの屋敷のような部屋だ。
 
 
のぐち4.png
▲洋室
 
 しかし、この家の最も不思議な所は、和室と洋室の間にある部屋だ。美しい土壁に囲まれた空間で、和と洋の影響が見られる野口さんの箔画を拝見することが出来る。野口さんのお宅にお邪魔する度このギャラリーのような部屋を何回も通り、豪華な金の作品に目のくらむ思いがした。
 
のぐち5.png
▲野口さんの箔画
 
 
創業130年以上と聞いて、「箔屋野口」が伝統的な工房だとばかり思っていた私は、このような和洋折衷のスペースにびっくりした。「箔屋野口」の町家に伺って初めて金箔が現代と伝統との間に存在していることに気がついた。
 
 
現代と伝統との間に存在している金箔
 
 町家の典型的な険しい階段を上ると、熟練の手で箔画を作る男前の人物がいらっしゃる仕事場に着く。お箸を用いて外国人にとって驚くほどの早さで机の上に金箔をあやつっていく。一枚の箔画を作るのは半日もかからない。
 ここまで金箔の話をしてきたが、金箔とは一体何なのかと思っている読者がいらっしゃるかもしれない。その質問に簡単に答えると、金箔とは、金を昔なら手鎚で、現代は圧延機で一万分の一ミリの薄さに延ばしたものである。そして、この数ミクロの薄さにした10cm四方ぐらいに統一されたものを、漆を塗った和紙の上に貼り付けていく。野口さんご自身は金箔や銀箔、プラチナ箔というような色々な種類の繊細な箔を和紙の上に、一切の歪みを作らず張り合わせていて「箔を押す」 という仕事をなさっている。つまり、野口さんの仕事は箔を「作る」ことではなく、箔を使って箔画を作ることなわけだ。しかし、職人として作る金箔の地と芸術家として作る箔画はそれぞれ別の存在である。
 作務衣姿の野口さんは、作業をしながらこの違いをご説明くださった。箔屋野口の伝統的な仕事は「引箔」の地作りだ。「引箔」というのは西陣織の帯の中に織り込まれる横糸のことだ。この横糸は出来上がった金箔の和紙を0.3ミリ幅程度に細かく裁断し、糸状にしたものである。すなわち、野口さんがなさるのは、帯に織り込むための織り糸になる地を作ることだ。引箔の場合、金箔は下の写真のように裁断されるので、元の状態で人の目に触れることはほとんどないと野口さんはおっしゃる。
 
 
のぐち6.png
▲引箔を持つ野口さんと、現代的な箔画(後方)
 
 
 
 一方で、金箔が元の状態のまま人の目に触れるのは、野口さんの現代的な絵を拝見する時だ。現代的な箔画は、裁断せず、洋画のように飾れる絵として存在する物である。引箔の表面が平面的な伝統柄なのに対して、現代的な箔画には伝統的な柄以外に西洋美術からの影響がありそうなヌードや「生命の樹」のような様々なテーマがある。そして、引箔の地が帯職人さんの要望に応えて作られるのに対して、現代的な箔画は、野口さんご自身が画家として想像したイメージを金箔で描いた物だ。
 私の目から見ると、現代的な作品は単なる箔を貼ったものではなく、箔の材質や貼り方に工夫をこらし、箔の持つさまざまな属性を生かしながら、作品に仕上げられている。野口さんは現代的な箔画の制作を通して、まさに箔という素材の可能性を様々な形で見せてくれる。
 
 
 
 
 
 
のぐち7.png
▲本金の上に3種類の漆で描いた抽象的な屏風
 
 
「貼り付ける紙の性質によって金箔はいろいろな表情を見せる」と野口さん。確かにその通りだ。例えば、貼り付ける紙の表面に、前もって下地の漆を塗れば表面がつるつるの光沢になるし、和紙に膠液で貼ると紙の素地のままの光沢になる。
 なぜ野口さんは現代的な箔画を作るようになったのだろうか。130年以上の歴史を持つ家業も時代の変化とともに、4代目の野口さんに至るまでに段々と衰退してきた。創業137年目を迎えこの道一筋40年、着物の需要が低迷する中で、「何とか技術を伝承したい!」との思いと、金銀箔の特性を活かし箔の美を追求したいとの思いから箔画の制作を始めたのは、約10年前。次男の琢郎さんの影響でもある。
 現在、その琢郎さんが家業を継ぐ準備をしていらっしゃる。しかし、野口さんは金箔の技術がなくなることを心配していない。たとえ技術が途絶えたとしても、誰かが将来、技術を復活させようと思ったら、その人はいつでも答えを見つけられる。なぜなら、作品自体が技術の答えを持っているからである。物と向き合うことをマスターした野口さんは、作品からそれがどのように出来たかを分析し技術を学んだし、息子さんにもこのような訓練をさせた。他の芸術家の作品の謎も、その作品と向き合うことで解いたこともある。
 
 
 
のぐち8.png
▲色々なテーマの現代的な箔画
 
 
物との向き合い:国際的な技術交換についての研究
 
 金色の芸術品を見ようとエジプト、中国、ヨーロッパを歩いたことがある野口さんのお宅では日本の宝物だけではなく、世界中の宝物が見られる。まるで博物館のように、中国やロシアの民芸品さえ飾っている。外国とのつながりは、野口さんの代に始まったことではなく、実は、工房は昔から外国との関係があったようである。
 箔屋野口は、野口さんの曾祖父安之助氏が明治十年ごろ、西陣に移転する前、室町高辻において金糸製造所として創業。この時期の日本にはよくあった輸出専門店の一つとして金糸を海外に輸出するために始められたようだ。
 箔屋野口は、現在も外国人のお客さんが多い。野口さんのヌードの箔画を買いに来るエルサルバドル人、野口さんに金箔についての質問をしに来るアメリカの大学教師というように、箔屋野口のゲストブックを覗くと、世界中の人々の署名がしてある。野口さんは外国人のお客さんがどこで野口さんのことを知るのか分からないとおっしゃった。しかし、野口さんが知る限り、日本でこのようなお仕事をされているのは野口さんだけだそうだ。やはりその理由でお客さんが来るのではないかと思う。
 そして、日本の美術界に一石を投じた研究で有名になったことも理由であるかもしれない。野口さんには技術知識に照らしてヨーロッパと日本との金箔の技術交換についての謎を説明するという学究的な一面もある。
 
 
 
のぐち9.png
▲現在の野口さんとNHKの番組の中の野口さん
 
 
 野口さんはグスタフ・クリムトのニューヨークにある金箔の絵に関するNHKの番組(「世界で最も贅沢な美女の謎」)のために研究を頼まれた。この番組で、野口さんはクリムトが日本の金箔の技を使い描いたということを実証した。
 
のぐち10.png
 
のぐち11.png
▲「アデーレ」(上) と「接吻」(下)に見る星空の背景
 
 
 
 クリムトの「アデーレ」という作品と代表作の「接吻」を観察し、それらの絵が日本の伝統技法で描かれたものかどうかを自ら確かめた。尾形光琳など「琳派」と呼ばれる京都独自の美術には、ふんだんに金が活用されている。「金箔」はヨーロッパの世紀末の画家に大きな影響を与え、クリムトはその模倣を行っている。
 野口さんは、クリムトの両方の絵の中で、特に背景に描かれた星空のような部分に着目した。その背景が西陣の金と模様の組み合わせに似ているとお思いになった。その部分で、クリムトが箔を切ったり、細かく破ったりしたのではないかと分析した。また、金箔を二重にする、日本の蒔絵特有の技法を用いたのかもしれないと考えた。
 
のぐち12.png
▲「小石」と呼ばれる小さい四角形に切り分けた金箔の種類
 
 
 仮説が正しいかどうかを立証するため、野口さんはまず金箔を「小石」と呼ばれる小さい四角形に切り分けた。そして、漆を塗ったキャンバスの上にこの小石を撒いた。その上から漆を塗り、撒いた金箔を隠した。そして同じ場所にもう一度小石を撒き、さらに小石の間に、「砂子」という金箔の粉を散らしていった。このようにして、日本の伝統の技でクリムトの二重構造の星空を再現することが出来た。
 
のぐち13.png
▲金箔の二重構造。野口さんの再現(左)とクリムトの作品(右)
 
 クリムトの作品を調べたり、東京文化財研究所を相手に論争を挑んだり、初の論文を3年にわたり執筆したのを「楽しい苦労」だと形容するというように学究的な野口さんは、和洋折衷の箔画を作る以外に、西洋・東洋美術史界に学者としても関わっている。科学的な方法で美術史の謎を解く頭脳明晰なアルチザンを見て、西洋の美術界のあり方について疑問が生じた。
 
 
 
アメリカ至上主義?
 
 アンディ・ウォーホルのスープ缶の意義が頭では分かっていても、魅力があまり感じられない者同士、野口さんと西洋が日本の美術界にどのような影響を与えたかについて話した。
 
 箔屋野口の歴史は、実は、アメリカに強く影響されたようだ。まず、野口さんは大学で学園紛争を経験し、ベトナム戦争の抗議で危なくなってきたため、大学を退学しなければならなかった。一方、絵を描くのが好きな琢郎さんも大学で教師に絵に「コンセプト」が足りないといわれパニックになり、油絵の勉強を辞めた。ベトナム戦争はアメリカが始めた戦争で、「コンセプト」というのも英語の言葉だ。この「コンセプト」という概念はおそらくアメリカの美術教育から入ってきたものであろう。ずっと自然をモチーフに描くことを目指してきた日本の美術界には、別に「コンセプト」という考え方はない。このように、この二人の人生が全く違う道に進むことになったのは、アメリカの存在によると言える。私はどうしてアメリカが日本の芸術家の生活にこんなに強い影響を与えなければならないのか考え始めた。
 
 私もアメリカで芸大の先生に画家として成功するためには、作品にはコンセプトがいると言われ、琢郎さんと同じ恐怖心から油絵の勉強を辞めてしまった。なぜなら、私はただ頭に浮かんでくる日常生活のイメージを描くのが大好きだったからだ。自然をモチーフにした写実的な絵をよしとするロシアで、私は自分の創造力と器用さを生かせる適当な分野を見つけたと思った。しかし、アメリカの芸大に入ると、実際に描くことをせずに「コンセプト」の話ばかりになり、そんな話を聞くくらいなら油絵の勉強をやめた方がましだと決めた。琢郎さんも私におっしゃったように、描くことの醍醐味は言葉で表現する必要のないものだ。それで、私も琢郎さんも写真をし始めた。琢郎さんも私と同じように、言葉ではなくイメージで考える人は、自分の絵を言葉で表現するのは得意ではないという認識を持つだけでなく、実際に同じ道を歩んできたということを知り、その不思議なご縁に深く驚いた。
 
 現代アートでは絵画を描く時、全体的な構成やコンセプトの策定が非常に重要とされている。手を使うのが好きで、物を作るのが好きな人には未来にどのような役割があるのだろう。テクノロジーが高度に発達しつつある中、伝統的な仕事だけではなく、ただ描くのが好きな人達の生活はどのようになっていくのだろう。
 
 皆さん、どう思われますか。
 
のぐち14.png
▲「箔屋野口」の前で、野口さんと奥様
 
 
 
 
 
 
 
■ 箔屋野口 ■
京都府京都市上京区元誓願寺通大宮西入元妙蓮寺町546
TEL: 075-415-1150
常設展示有(要予約)
 
 
レポーター紹介
アナスタシャ.png
アナスタシャ・ソローキナ
 
現在、映画監督を目指すワシントン大学の4年生。子供の頃、茨城県のつくば市に住んでいた、15年ぶりに日本に帰って来た留学で日本の美術工芸に夢中になったロシア系アメリカ人。日本の文化の美しさから離れられない。いつかまた日本に帰ってくるのを楽しみにしている。
 
 
 
 
 

新規団体登録

団体登録いただきますと、あなたの団体も情報発信ができるようになります。あなたもカミングを使って情報発信していきましょう。

登録団体のブログ