西陣の守り神・今宮神社 今宮祭によせる宮司の熱き想いを聞く -それは御旅所に眠る秘密の宝物から始まった-<1>

今回の取材先は、北区にある今宮神社。
北区にあるけれども、どうして今回取材することになったのか?それは、今宮神社が、上京区、特に西陣にとてもご縁の深い神社だからなのです。
西陣の人たちが親しみを込めて「今宮さん」と呼ぶこの神社について、宮司の佐々木從久さんに取材させていただくことができました。
また、取材前に、あることが気になっていました。
実は、この今宮神社には、上京の人にもほとんど知られなくなった美しい舞台があると聞いたのです…!
それを知ったのは、以前こちらで取材した、人間国宝の小鼓師・曽和博朗さんの言葉からでした。
(詳しくは以下のカミングの記事をご覧ください。
→「小鼓を極めることと能楽の楽しみ 〜曽和博朗(そわひろし)さんを訪ねて〜」
▲今回の取材のきっかけを頂いた、人間国宝の小鼓師・曽和博朗さん
「私の初舞台は今宮神社の御旅所だったんですよ。」
御旅所で初舞台?
御旅所はお祭りのときに神様をお遷(うつ)ししてお祀りする場所。
御神輿を奉安するところはあっても、舞台があるなんて、聞いたことがありません。
そのお祭りにも興味が湧いてきます。西陣とのかかわりも知りたい…これは、いろいろ面白いお話が聞けそうです!
でもそのためには、まず今宮神社のことを知らねば。はやる心を抑え、まずは今宮神社の歴史を伺いました。
▲ 今 宮 神 社
1000年ほど前の正暦5年(994年)、京の町には疫病が流行り、疫神を船岡山にお祀りしたそうです。これが「紫野御霊会(ごりょうえ)」と呼ばれるお祭りで、今宮祭の起源となりました。まもなく、長保3年(1001年)に再び疫病が流行し、船岡山から疫神を移し、新しく三柱の神様とともに現在の地にお祀りしたのが、今宮(新たに設ける宮の意)神社の始まりということでした。
もともとこの地には、平安建都以前から疫病を鎮めるためお祀りした、疫社(えやみしゃ)という神社があり、今も、三神と疫神とを一対でお祀りする形になっているのだそうです。
<今宮祭・いまむかし>
さて次は、今宮神社で一番大きなお祭りである今宮祭についてお尋ねしました。さて、どんな歴史をたどってきたのでしょうか。
「お祭りが始まった頃は、今宮神社内で東遊(あずまあそび)(注1)や走馬(そうま)をしていたのですが、西陣が興隆するにつれて、民衆のお祭りになっていきました。北の山(今宮神社)から町(西陣)へ神様をお迎えするお祭りへ変わっていったのです。」
歴史のあるお祭りも、応仁の乱などで幾度となく途絶え、また復活を繰り返してきました。しかし江戸時代、徳川綱吉の母である桂昌院(けいしょういん)が、社殿を作り替え、牛車や鉾を寄進した後は盛大に行われるようになったそうです。ちなみに、桂昌院という人は本名「お玉」。西陣の出身で、八百屋の娘から将軍の母にまで出世したので、ここから「玉の輿」という言葉が生まれたのだそうです。
今宮祭の中心となるのは西陣にある御旅所。今宮神社は北区ですが、氏子地域を見てみると、南半分は上京区、それも西陣のほぼ全域が入っています。また、今宮祭で巡幸する鉾を持つ鉾町はすべて西陣の中心地です。その西陣の中心近くに御旅所があるのは、ごく自然なことと言えるでしょう。
今宮祭では、現在3基の御神輿と12基ある鉾のうち9基が巡幸しています。まず、牛車に載ったご神体と鉾などが先に行き、後に威勢の良い御神輿が3基続きます。
▲龍鉾。祇園祭の鉾の原型的なもの
▲先神輿。神幸祭の日、千本今出川で威勢よく担がれます。
御神輿を守る地域は氏子地域の北部にあって、鉾は西陣の町衆が支えてきました。
しかし、近年西陣にはかつて程の勢いがなく、鉾町に大変な負担がかかるようになってきたのです。
巡幸できなくなったり、鉾の保存自体が難しい鉾町も出てきました。
宮司さんの表情が曇ります。
▲今回、お話を聴かせてくださった佐々木宮司
「実際すでに3つの鉾が出なくなっていて、そのうち2基を神社でお預かりしています。鉾の一部が廃棄される寸前に連絡を受け、預かったものもありました。」
今、鉾町では、町の施設ではなく、個人のお家で管理してもらっているものがほとんどだとか。そのお家で保存できなくなれば、鉾の維持は難しくなります。今や鉾は、散逸の危機にさらされているのです。代替わりしたその次に、跡を継いでもらえるのかどうか…宮司さんの心は揺れます。
「町内での保管がどうしても困難となった場合に、鉾の保管ができる施設を整えたい。例えば御旅所に収蔵庫を作り、そこに保管できれば。」
しかし、そう言いつつも宮司さんは、そこにも問題があるといいます。
「預かって保管することで、子供のころからいつも町の中に鉾がある、ということがなくなってしまうと、鉾から町の人たちの気持ちが離れるのでは…祭りに対する思いや情熱が薄れてしまうのでは。そこがとても心配なんです。」
お祭りというのは、氏子が中心です。自分たちが支えている、という気持ちが大事。いつか祭りが義務のようになってしまわないか…
「だからせめて、将来もしも神社でお預かりすることになったとしても、一部だけでも町内に、大切に保管しておいてほしいですね。」
お祭りを続ける「気持ち」が大事、だから、町内に置いておくのは「鉾」だけでなく、「これは氏子の祭りだという気持ち」なのでしょう。そんな気概を西陣の人たちにずっと持ち続けてほしいという、宮司さんの切なる願いが、その言葉ににじみ出ていました。
▲葵鉾。昔は差し鉾(立てて)で巡幸しましたが、現在は横にして担いでいます。
注1)東遊び: 神事舞の中で代表的なもの。舞を舞うところから「東舞」「駿河舞」ともいわれる。