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鎧(YOROI)がつむぐ日本の美~「鎧廼舎よろいのや・うさぎ塾」をたずねて~

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▲イメージしていたよりも、とてもカラフルな平安時代頃の鎧

 

 

 
「鎧(よろい)」というキーワードからみなさんは何をイメージされるでしょうか。
京都にはたくさんの伝統産業、伝統工芸、伝統文化がありますが、「鎧」も数々の伝統的な技術を結集させて作られています。
 
 
今回は、平安時代から引継がれた日本の鎧にまつわる文化を発信し、現代的な価値をつむぎ、後世に日本の伝統文化を伝える活動をされている「鎧廼舎(よろいのや)うさぎ塾」(以下、うさぎ塾)の夘月(うづき)永年さん、阿子さんにお話をお伺いしました。
 
うさぎ塾の「うさぎ」とは、夘月さんの名字「夘月」の「夘」から取っています。そして、だれもが知っていて親しみやすく、しかし「鎧を作っているのにうさぎ塾!?」と覚えてもらいやすいインパクトがあるからだそうです。
 
 
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▲鎧廼舎うさぎ塾の入口
 
 
夘月さんご夫婦から聴かせて頂いたお話は、鎧作りを中心にものづくりへの想いや日本の歴史・文化などなど多岐にわたり、また、たくさんの心温まるエピソードを届けてくださいました。その全てをお伝えすることはできませんが、少しでもわたしたちが感じた想いをみなさんにお届けしたいと思います。
 
 
 
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▲YOROI作家の夘月阿子さん、鎧作家の夘月永年さん
 
 
 
<鎧をつくるって??>
うさぎ塾で展示され、また制作されている鎧はとても色鮮やかで品を感じるものばかり。わたしたちがNHKの大河ドラマなどでみるような、武士が着ている黒っぽいものとは少し異なります。じつは、鎧と言っても、時代によって色や形が全く異なることをまず教えて頂きました。
 
もともとは京都が鎧の発祥地でした。平安時代には天皇や貴族を守るために武士が登場します。かれらが身を守るために鎧を着たことが始まりです。当時の鎧は全てオートクチュールで作られていたそうで、鎧は体形にぴったりフィットしていて、鎧がブカブカだったり、動いて揺れ動くようなことはないそうです。
 
 戦国時代になるとたくさんの武士が戦いの場に向かうため、大量に鎧が必要となります。また戦うスタイルも、平安時代の正々堂々と真正面から向き合う作法から、自由に動き回るスタイルへと変化していきました。それに伴って身体を守るありかたも変わり、鎧のカタチも変化していきました。
 
 
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▲鎧の色や形など、その時代によって変化している
 
 
 
平安時代の鎧は色鮮やかで、自分をアピールするという役割がありました。そのため遠くから見てもわかることが大切でした。赤い色がよく使われている理由は、赤は邪気を払う意味がありました。同時に平安時代は様々な日本文化が発達した時代でもあります。鎧も同様に、単に身を守ることに加え、日本の風土と日本独特の美意識の中で発展した結果が平安時代の鮮やかな「美」の要素を取り入れた鎧を誕生させました。
 
 
また鎧のカタチは当時に存在していた線が必ず反映されており、例えば当時の建築物に見られる屋根の曲線などがそうです。そのため、夘月さんは鎧を作るために、鎧が作られた時代と同じ時代に建てられた建築物を見に行き、鎧の時代背景の線を読み解き、当時の情景を学んでいくそうです。
 
 
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▲情熱的に鎧のすばらしさについて夘月さんが語ってくれました
 
 
 
愛媛県の大三島町に大山祇(おおやまづみ)神社という神社があります。日本中で保管されている鎧の中で、国宝になっている鎧の約70%がこの神社に集まっているそうです。夘月さんの師匠が若い時代には、そのような歴史ある鎧を直接触れ、鎧の細部まで観察して先人の技術を学ぶことができたそうです。しかし現在は文化財保護の観点からショーケースの中で展示され、写真を撮ることすら禁じられています。
 
夘月さんはそれでも事あるごとに、また機会があるごとに大山祇神社を訪れ、勉強のために鎧を見にいかれるそうです。京都の工房に帰ってくると「あそこはどうだったかな?」と必ず見忘れた部分が出てくる。また鎧そのものがもつ「気」があって、そのような鎧の存在感はやはり直接見なければ感じとることができないためです。
 
 
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▲しまなみ海道・大三島の大山祇神社には国宝級の鎧が集まっているそう
 
 
技術的な面からも、鎧を見るとその時代の技術がわかるそうです。なぜならば、鎧は色々な技術の集大成によって作られているからです。例えば、鎧に使われている金具は、ふすまの取っ手や、仏壇に使う金具の技術が応用されています。確かに、鎧の金具をよく見てみると柄がほどこされていました。また鎧にはたくさんの糸が使われています。糸の原材料へのこだわり、染色の技術、糸を通していく技術など、伝統的な技術がたくさん使われています。日本の鎧兜は、組みひもで構成される高い気品に満ちた美しさがあります。これは世界の甲冑にはない大きな特徴です。
 
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▲鎧の金具も、ひとつひとつ職人さんの手づくりです
 
そのため、鎧に使う材料を集めるだけでも、色々な職人さんの協力と技術が必要になります。そして、完成した鎧を世間にお披露目することは、夘月さんのような鎧を作る人だけでなく、鎧に関わった職人さんや鎧にかかわる伝統技術を披露することになるのです。このような技術の結晶である鎧ですが、本来の役割は自分を守る防具。そんな防具がなぜこのように凝って作られているのかという奥深さは、鎧づくりのおもしろさの1つといえます。
 
一方で、わたしたちがよく見かけるような鎧、例えば映画などで登場する鎧は、たくさんの役者さんがいるため、鎧も大量に必要になります。映画をつくるための全体予算とのかねあいも出てきます。他の作品で使った鎧を使いまわさなければ必要な数をそろえられないなどの事情もあります。このため、低コストで大量に鎧を作る業者もあるそうです。
 
 
うさぎ塾では、そのような鎧も決して否定することはありません。映画作りには映画作りの事情がありコストのことを考えると、業者による大量生産も必要な仕事であるとおっしゃいます。もちろん役者さんの中にはうさぎ塾の鎧で演技をしたいと、ご本人から直接電話がかかってくることもあるそうです。
 
 
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▲歌舞伎などの舞台でも鎧は使われている
 
 
 
うさぎ塾の存在を知るための経路は、口コミとホームページの2つです。制作した鎧だけでなく、ものづくりへの想いや姿勢、それらからにじみ出てくるうさぎ塾がもつ感性などがリンクしながら、色々な御縁で人とつながりから仕事がつながっているそうです。「ほんまもんを提供したいし、ほんまもんを期待される人がいるから応えたい」とお話される言葉の背景には、ゆるぎない哲学があることを感じました。
 
 
 
<日本で唯一の「鎧作り教室」>
うさぎ塾では、お稽古事として全国初の「鎧作り教室」をスタートします。これには鎧づくりが少しでも伝わっていってほしいという想いが込められています。全国各地で教室が開かれているのですが、それは各地にお城があるという証拠だそうです。
 
教室の多くは女性の方が多く、糸の美しさに魅了されるそうです。たしかに鎧に使われている糸の色がとても美しい。単純にカラフルなだけではなく、色に艶があり、また品を感じました。男性は鎧が好きな人が多く、ほっておいても興味をもって鎧を作りに来てくれる。しかし女性にはまず見てもらって、キレイだと思ってもらいたい。そんな想いを聞かせて頂きました。そのため、パンフレットも女性が見て良いなと思ってもらえるようなデザインへのこだわりが込められています。
 
 
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▲鎧と言えば男性かと思いきや、この美しい色の糸が女性に人気だとか
 
 
 
この「鎧作り教室」は、単なる習い事教室を越えて、うさぎ塾の仕事をとても豊かにしているとわたしたちは感じました。なぜならば、生徒さんの鎧作りにはそれぞれの想いとストーリーが生まれ、鎧作りを通じた「想い」の共有があり、鎧を作るというその1点においては、生徒さんも卯月さんも同じ「ものづくりの人」になれるからです。
 
今の時代は、なんでも簡単に物が手に入ってしまいます。しかし、じっくり時間をかけて、また色々と苦労をしながらものをつくっていくというその手間暇や苦労を味わってほしいと、夘月さんは話されます。そうすると作り手、一人一人にストーリーが生まれてくる。作るきっかけや動機も人それぞれ、また作る過程で色々な出来事がおこり、さらなるストーリーが生まれてくる。だから全部ちがってくる。
「生徒さんにはストーリーを何か得てほしい、そのための時間を教室では提供したい」と、夘月さんからは強い想いを感じました。
 
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▲うさぎ塾の入り口には様々な鎧が並んでいる
 
 
2011年3月に東日本大震災が起きたとき、6月に会津に行って鎧作り教室をひらかれました。避難をするために会津に来られた人の中には、鎧作りを通して会津にもともと住んでいた方とのコミュニケーションが少しずつ生まれ、会津に住んでもよいかなと気持ちの変化が生まれた方もいらっしゃったそうです。鎧作りが人と結びつくきっかけを生み出したのです。ものづくりの良さはこのようなところにも表れるのです。
 
 
<鎧作家&YOROI作家のものづくりのはじまり>
夘月さんが鎧をつくるきっかけは、学生時代からよく行列に参加したり、弓道をしたりしていて、そのような色々な経験から自然と興味を持つようになっていたそうです。
 
 
そして鎧作りを学ぶために、第二十五代宗家 鎧師・明珍宗恭氏に弟子入りされました。
明珍宗恭氏は室町時代末期から続く甲冑師の宗家明珍家の当主で、制作活動に加えて、全国の神社仏閣を訪れてその宝物の甲冑を調査研究したり、国宝重要文化財指定を含む甲冑の復元や修理にも携わっていた人です。
 
かつては1つの鎧を作るためには、7人の職人がいて、役割分担しながら作っていました。しかし師匠の明珍先生は全て自分で作らなければ気が済まないことから、全ての工程を一人で行っていました。
 
そのような明珍先生から仕事への姿勢や鎧作りに必要な技術を学びながら、明珍先生のマネをしても意味がないということを夘月さんは見出していきます。伝統ある高度な技術を基本に、自分たちらしさを出すことが必要ではないかと気づいていくのです。「わたしたちができるコトはなにか?」と自分たちに対して問い始めます。また明珍先生からも「あなたの鎧を作りなさい」とメッセージをもらうこととなります。
 
 
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▲夘月さんご夫妻の師匠・鎧師・明珍宗恭(みょうちん・むねゆき)氏
 
 
 
そのような自問自答から生まれたものがうさぎ塾でした。うさぎ塾では、時代が要求しているものをしっかりととらえようとしています。それは、受け継がれてきた伝統と技術を基盤に、伝統を受け継ぎながら、時代にあったものを作る必要性や重要性も同時に感じているからです。まさに、伝統と革新。
 
阿子さんは主にデザインを、永年さんはそれ以外の作業を担当されています。デザインは300種類くらいが伝統的に受け継がれているものがあるそうで、その伝統のデザインを基に新しいデザインを生み出しているのが阿子さん。
 
うさぎ塾に貫かれている様々なものづくりへの想いがあります。
「見えないところまで気を配ることが日本のものづくり」
「ものづくりにこれでよしはない」
 伺っているお話の色々な場面からうさぎ塾の想いがひしひしと伝わってきます。
 
 
ものづくりとは「技術+想い」であるとも夘月さんはおっしゃっていました。
教室で素人の生徒さんが作られていることも立派なものづくりなのです。
 
 
うさぎ塾の鎧作りは全てハンドメイドで行われて行きます。細かい作業も多く、糸を通したり、小さな部品を並べるときに、熟練の職人でなければどうしても不揃いな部分がでてきます。しかし、生徒さん、おひとり、おひとりは何かしらの想いがあって鎧を作っておられる。このような営みはまさに「ものづくり」。
 
 
不揃いなものやバラバラに見えるもの。これらに何の想いもなければただ雑なだけです。しかしそこに想いがあり、想いがこもった丁寧さがあると「味」になる。鎧作りの中に苦労する工程があるから楽しくて、嫌なことやつらいことも作り手の想いを全部含めて「ものづくり」なんです。
 
 
うさぎ塾では、毎年11月23日(祝)に、上賀茂神社にて「鎧着初式」として、自分たちの生徒さんが教室で作った鎧のお披露目の場をつくっています。着せられたものを着るような武者行列ではなく、自分たちで作った鎧を着て歩く。子どもたちもこの日ばかりは、凛とした顔立ちで歩くそうです。平安期の鎧を着る行列は全国的にも少ないそうですので、ぜひまた足を運んでみてください。
 
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▲子どもたちが鎧を着る様子
 
 
 
以上が、今回のレポートです。いかがでしたでしょうか。
鎧をめぐる日本の歴史や文化の深さを知るとともに、生きかたまでを教えて頂いたような気がします。貴重なお時間を頂きありがとうございました。
 
 
 
京都西陣工房・鎧廼舎「うさぎ塾」
住所:京都市上京区黒門通一条上ル弾正町738-1 
電話/FAX:075-432-2270(電話受付 AM10:00~PM5:00)
メール:yoroi@usagijuku.com
 
 
レポーター紹介 
 
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川北 泰伸
同志社大学政策学部で助手をしています。Project-Based-Learningを学部で展開するためのお手伝いを担っています。京都の大学に通っていても近くて遠い京都の伝統文化。貴重なお話を伺えると声をかけて頂き、参加させて頂きました。
 
 
 

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