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西陣空襲を、語り部・磯崎幸典さんに学ぶ(その1)~地元で生まれ育った中学生たちの想いとは~

 
西陣空襲1.png▲西陣空襲の碑の前で語る磯崎さん(一番右)
 
 今年、2015年は第二次世界大戦が終わって70年の節目の年である。そのため、戦争関連の報道も多くなってきているようだ。しかし、京都の空襲関連の話は滅多に聞かない。「京都には空襲はなかったのだ」「京都は文化財の宝庫だから、爆撃しなかったんだろう」そんな話がもう伝説化している。
 
 しかし、実際はあったのだ。その一つが、1945年(昭和20年)6月26日、京都市内、しかも文化の中心地である上京・西陣の地においてである。今回私たちは、京都府立大学歴史学科の学生、そしてこの地に生まれ育った京都市立二条中学校1年生の生徒たちと、その「西陣空襲の真実」について学ぶこととなった。
 
 
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 お話を伺ったのは近くで瓦店を営んでおられる磯崎幸典さん。西陣空襲の語り部として、長年活動されている。磯崎さんは当時17歳。勤務地の京都大学内からその空襲をその目で見、我が家にたどり着いたとき、その惨状に言葉を失った。しかしその様子を、被害を受けた人々が思い出したくないできごととして口をつぐむ中、磯崎さんは「本当にあったこと」を伝えたいと語り始められたのである。
 
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 2015年2月10日、NHK京都「京いちにち」の取材も入る中、私たちの学びは始まった。今年一番の寒波をものともせず、87才の磯崎さんは、上京区智恵光院通下長者町角の辰己公園から話をスタートされた。公園内にある磯崎さん建立の「空襲被災を記録する碑」には、7発の爆弾の被弾箇所、死傷者数などの情報が記されている。
 
 
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▲この被弾箇所(●)のうち2か所を訪れた。
 
 
大学生・中学生ともに、初めて耳にする事実にただただ聞き入っている。特に中学生は自分たちが普段通っている場所に爆弾が落ちたなどと、ただこの碑を読んだだけでは実感できなかっただろうが、それだけに、磯崎さんの言葉はしっかりと彼らの胸に届いていたに違いない。
 
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▲爆弾が落ちた下長者町智恵光院西入ルの地
 
 下長者町通智恵光院西入ルの爆弾が落ちた場所に行った。ここには6,7mほどのすり鉢状の穴があき、中には水がたまっていたという。
 
 
 
智恵光院通を南に下(さが)って西側の昌福寺に行く。ここは井戸に焼夷弾が落ちて不発だったという誤った伝承をされていたところだが、実際には焼夷弾ではない爆弾が井戸内の地下で爆発し、大きな地響きが轟いたという。
 
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▲中で爆発した爆弾の中身が井戸からあふれ出したそうだ。
 
 また、この空襲の目的はさまざまな説が唱えられているが、福井の軍需工場の破壊をする予定だった爆撃機が、何かのエンジントラブルで引き返した途中で落とした、というのが磯崎さんのお考えである。これには確固たる証拠があるとおっしゃっている。このように磯崎さんは、より正確な事実を伝えるために、今も語り部を続けられているのだ。
 
その後、磯崎さん邸に行き、井戸に落ちた爆弾の破片を見せていただく。高熱でゆがんだ破片が、その爆発のもようを語るなによりの証人であろう。
 
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▲井戸から引き揚げられた爆弾の破片を、磯崎さんのお父さんが引き取って保管されていた。
 
場所を変え、磯崎さんに中学生からも質問をした。地元中学生はなにもかも初めての事実を知り、何を感じただろう。10代の彼らが、この悲惨な記憶を「正確に」語り告げるようになってくれれば… ご高齢にもかかわらず、精力的に説明してくださった磯崎さんの思いは、まさにそこにあるのである。
 
 参加した京都市立二条中学校1年生3名が、それぞれの思いを届けてくれた。京都人の卵、13歳の子どもたちは何を見、何を思ったのだろうか。
文責:鳴橋
 
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戦争体験の話を聞いて
 
二条中学校 1年 池野 理子(いけの りこ)
 
 私がこの企画に参加した理由は、戦争の時代を全く知らない私たちが、実際に戦争を体験された方に直接お話しを聞き「戦争はどんなに辛いものなのか」を知り、その事実を皆に伝えることが大切だと思ったからです。そして、その事実から、私たちが「何か学ぶことはないか」と思ったからです。
 磯崎さんは、87歳には思えないほど、とてもお元気な様子でした。私は、京都にはあまり爆弾は落ちていないと思っていたので、自分たちが住んでいるこんな近くにも爆弾が落ちていたことを知り、びっくりしました。爆弾の破片も見せて頂きました。とても重く、こんな大きな物が落ちてくると思うと、とても怖かったです。
 今回、磯崎さんのお話を聞いて、今がどれだけ平和で、私たちがこうして学校に通い勉強できるのは、当たり前のことではなく、幸せなことなんだと分かりました。とても貴重な体験をさせてもらえたと思います。
 
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▲熱心にメモを取る中学生たち
 
二条中学校 1年 東宮 舜(とうみや しゅん)
 
 僕は小学校の頃に「はだしのゲン」という戦争中の漫画をみて当時の事に興味を持ちました。今回は自分の住んでいる地域で戦争中の話をしていただけるということでこの企画に参加しました。話をして頂いた磯崎さんは高齢にもかかわらず非常に元気で話がわかりやすく聞けました。
 僕は、辰巳公園の近くに住んでいるのに、爆弾が落ちたことは、全く知らなかったです。
 磯崎さんからは、空襲の他にもいろいろと教えて頂きました。例えば、いじめなどです。いじめは、今は弱い者をいじめる。でも磯崎さんの頃は、弱い子がいじめられている時は、その子を助け、いじめている子の方をやっつけたそうです。今と戦時中を比較していろいろなちがいの話をしていただきましたが、一番感じたことは戦争は、もう2度としてはいけないと思います。そのためには、僕は、磯崎さんから、教えてもらったことを、いろんな友人に伝えていければいいと思いました。
 
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▲磯崎さんが集められた西陣空襲関連のスクラップ帳。資料は山のようにあった。
 
二条中学校 1年 廣田 咲美(ひろた えみ)
 
 戦争の話を聞いて
 二月十日(火)の寒いなか、大学生の人と京都が戦争とどのように関わったかを磯崎さんに話をしていただいた。
 私が、なぜ、今回の企画に興味を持ったかというと、戦争を体験した人にしかわからない感情を知ってみたいと思ったからだ。それに、その戦争を体験した人の人数も減ってきているので、「今しか聞けない!」と思ったのでこの企画に参加した。
 私が、磯崎さんと会ったときは、びっくりした。なぜなら、87歳なのに元気で、寒い公園でも、ふるえず、堂々と話して下さったからである。磯崎さんは、「京都は、空襲に遭っていた。」とおっしゃった。つまり、京都は、直接戦争の被害を受けていたということが分かった。それが、頭にしっかりと残っている。この空襲の時の爆弾がこの近くでいくつか落ちており、百人以上の人が路地などで亡くなったという。
 次に、下長者町智恵光院西入ルの爆弾投下地点へいった。自分が通ったことのある道にそんな被害があったなんて全く知らなかった。
 
 次に、昌福寺の井戸跡を見た。井戸の中で爆弾が爆発し、煙があがったそうだ。爆発の様子を見た人は、とても怖かっただろうなと思った。
 次に、磯崎さんのお宅で爆弾の破片を見せていただいた。その破片は、見た目にも重そうと分かるくらいどっしりとしていた。触って持ち上げようとしてもとても無理だった。重くて、こんなものが空から降ってきたら怖いだろうなと思い、あらためて、戦争の怖さを思い知らされた。
 最後に、戦争中の学校について、磯崎さんに質問をした。当時、磯崎さんは、どんな気持ちで、「勉強」というものと向き合ったのか。
 でも、予想は外れてしまった。当時は、勉強したくても、できない時代だったと知ったからだ。男子は、労働者として奉公をし、工場で働いたそうだ。また、女子も工場で国のために働いたそうだ。軍需工場へ狩り出されるのは、強制だったと聞き、十五歳くらいで働くのは辛いだろうなと思った。全てが戦争とつながっていた生活を送っていた時代なんて想像もつかない。それを考えると、今は、平和だなと思う。
 磯崎さんからのメッセージで心に残っているのは、「私達が自分の意志をもった人になっていってほしい」とおっしゃった。また、「もっと勉強しなあかん。もっと本を読んで知識を増やしてほしい。」とおっしゃった。政治に流された時代、つまり、戦争中に生きた人だからこそ、自分の意志を持つことの大切さが分かると思う。
 これから、私は、この戦争の話を伝えていかなければならないと思う。絶対に目をつむっては、ならない。戦争という過去をこれからの社会で生かしていかなければならないと思う。
 
 
 
 
 
 

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