能楽の幸流小鼓方、人間国宝・曽和博朗(そわひろし)さんの御自宅を訪問いたしました。博朗さんは小鼓方の長老として80年近い経歴を持ち、今年(平成25年)4月27日に米寿をお迎えになります。それを記念して、お孫さんの尚靖(なおやす)さんプロデュースのお祝いの会「おじいちゃん 曽和博朗お誕生日会」が開かれます。今日はそのお祝い会、博朗さんの小鼓に対する思い、また一般の人にはふれることの少ない能楽やお囃子についてお聞きしようとやってきました。
博朗さんの御自宅は、西陣の中心地に近い閑静なたたずまいを見せる地にあります。
博朗さんのお誕生日には毎年親族が寄り、お祝いのお食事会をされるそうですが、昨年は87才、数え年の88才ということで、米寿の祝賀能が京都観世会館で催されました。さて今年はどうしようということになって、いつものようにお食事会をすることになったのですが、「おじいちゃん」の姿を皆さんに見てもらえる舞台をしようかということになったそうです。会場はお食事会の場所に近い金剛能楽堂に決まり、おめでたい曲の並んだ尚靖さんプロデュースのお誕生日会が決定したのです。
「おじいちゃんを前に出してあげるのも孫の務めです。おじいちゃんが偉いのはわかっています。でも偉いだけで御蔵に入れるのではなく、飾ってあげるのも大事だと思います。おじいちゃんを残していけたらな、というのが自分の思いです。」
「僕の根本。教えの主たるものがおじいちゃんそのもの。」
と断言される尚靖さん。
能楽堂を出て、インターネットで小鼓のサイト『プチ・鼓堂』を開き、カフェで演奏や日本各地で体験教室をされて、多くのファンがおられます。
尚靖さんの行動は、博朗さんが「教えの主」であるという敬愛の心から生まれるのだと思いますが、博朗さんにすれば、「おじいちゃん」としてお孫さんの気持ちを一番嬉しく受けとめておられることでしょう。
<博朗さんの半生-大きな波を乗り越えて>
博朗さんのおじいさんは、千本一条で代々味噌醤油問屋を商うお店の旦那さんでしたが、小鼓に秀でた技を持ち、プロになった方です。鼓方は数え年の6才6月6日に小鼓を始め、同じく9才に初舞台を踏みますが、舞台度胸をつけるために本当はもっと早くから小鼓に触ってお稽古されているのだそうです。
博朗さんが16才のとき、大きな波に立ち向かうことになりました。師匠であるおじいさんとお父さんを次々と亡くされたのです。さらに第二次世界大戦が始まり、博朗さんも徴兵されました。
「仕事は音楽関係やて言うたら通信兵にされました。信号の符号は80種類ある。しかし小鼓の音の符号は200もあるけど覚えてる。小鼓は覚えなできませんしな。そやし信号はすぐに覚えましたわ。友達同士の会話もツートンツートンてやりました(笑)」
博朗さんの記憶力のすごさを表すエピソードですが、戦争があったことで、3年近くも小鼓から離れなければなりませんでした。
「『ふるい』にかけられましたんやけど、なんとか難関をくぐりぬけました。しかし、この戦争で能楽の世界の古い人たちがたくさん亡くなりました。」
<小鼓に触れる>
「ほな、ちょっと小鼓触ってもらおか。」
出していただいたのは胴が元禄時代の小鼓。元禄時代と言えば今から300年以上も前のものになります。そんなに古くても、小鼓というのは博朗さんや尚靖さんのような名手が打てば傷むことなく使い続けることができるのだそうです。
小鼓は実際に持ってみると結構重いものでした。これを博朗さんは二時間ぐらい持ち続けて演奏されるといいますから、米寿の今も大変なエネルギーを持っておられることがよくわかります。
皮は馬の皮、しかも仔馬の皮がよいそうです。よい音にするため、皮を張った中の部分は真空でないといけません。年がいった馬では皮の毛穴が大きくて真空にならないのです。また、皮に多少湿りがないといい音がしないそうです。
湿度に対する感覚が研ぎ澄まされいて、博朗さんも尚靖さんも天気予報がいらないとおっしゃったことには驚きました。昔の人たちなら、持ち合わせていただろうけれど、現代人にはまずあり得ない感覚。尚靖さんはそれを「小鼓適応型」と、いとも簡単におっしゃったけれども、私たちはただただ驚嘆するばかりでした。
打つときは左手で持ち、右の肩に乗せ右手で打ちます。打ち方は、下から上に、重力に反して打つ感じになります。打つ人間から打撃面が見えないのは小鼓だけで、それが他の打楽器とは違う特徴となっています。音は5種類あり、持っている紐の締め具合を手で調節して音を変えていきます。「着物を着こなすように鼓も使いこなさんとね。」小鼓は、曲によって握りを変えていく。気候や季節にも合わせて、違うものを使うということでした。
博朗さんは小鼓を持ってお話されている途中、突然「ポンポン」と打ち鳴らされました。
一同、「おぉーっ!」。
その音を聞いた途端、胸が高鳴るような、なんとも言えない高揚感に包まれました。素人で何もわからないかもしれないけれど、音を聞いた時の感動は、理屈抜きなのです。
うっとりしていると、続いて尚靖さんの音!
「僕のは、若い音。」
と言いながら繰り返し打ってくださいます。
今度は大きくて、張った音というのでしょうか。凛とした美しい感じを受けました。
同じ小鼓なのに、奏者が違うとこんなに違う。
「十人の名人がいれば、音もみな違うの。」
さらに掛け声が加わります。
囃子方は、小鼓だけではなく、太鼓・大鼓・笛の4種類で成り立っています。
「お囃子は指揮者がいませんの。監督もいません。」
その中で掛け声は調子を合わせる重要な役目を果たしています。つまり「息」で合わせる、今で言う「セッション」だということです。
小鼓の音に驚き、掛け声にため息をつく。
それらを目の前で聴ける幸せをかみしめたひとときでした。
お話をきくうち、厳しいお稽古を積み重ねる小鼓方の家に生まれ、小鼓がいやになってしまうようなことはなかったのか、とふと思いました。
博朗さんの表現は控えめですが、「小鼓の魅力は?」と尋ねると、「小鼓のすべてが魅力」「小鼓が好きなの」と言い切られるその強さ、本当に楽しそうにお話してくださるお姿に、小鼓と共に生きていくことに何の迷いもなかっただろうと確信しました。
<尚靖さん-小鼓や和物への情熱>
お話を聞いていて、感銘を受けたのは、博朗さんの小鼓への熱い思いの他にもう一つありました。それは、尚靖さんの小鼓や能を発信する、激しいほどの意気込みの凄さです。
「若い人はお能を観ないけど、人の興味を引く面白いことをしていたら、『ちょっと行ってみよかな』て思う。そんな面白いことを僕が発信したら、能楽堂に入ってみようかと思うかもしれない。私たちも発想をもっと柔軟にして、お客さんにはもっと気軽に鼓に関わってもらいたいんです。」
そのためには、
「直接小鼓に触れていく場を増やしていきたい。みんなが聞きたいと思って小鼓を聞く、そんな風に戻っていかないとだめ。だから例えば、僕は天神さんの縁日の中で演奏しても構わないんです。」
「私らはコンパクトに凝縮したエコ人間なのですよ。」
博朗さんはずっと着物をお召しで、尚靖さんも普段着は着物だそうですが、昔の日本のものはとてもエコだとおっしゃいます。着物はなかなか傷みません。ちょっと直したらずっと着ることができます。尚靖さんは博朗さんのお下がりをたくさん着ておられるそうです。
また一方では、文化を継承していくための提案もされています。
「おじいちゃんの初舞台は今宮神社御旅所の舞台でやりましたが、今はとても使える状態ではない。他の神社にも舞台はあるが、ほとんど使われておらず、本当にもったいないんです。」
能楽は本来神様に見せるものでした。人間は神様への奉納をたまたま見ている形で見る。そういう本来の能楽の形が、神社にはあったのです。
「たとえば、ボランティアの人たちによりきれいに掃除をして、一日公演ができるようにする、というようなこと。おじいちゃんが初舞台で立った舞台に、反対に、一度も立ったことのない僕が立ちたい。おじいちゃんという生きている文化財と枯れゆく舞台をつないでいくのが、僕の仕事だと思っています。」
そのためにはいろんな人を巻き込んでいかなくてはいけない、とおっしゃっていました。その中には氏子さんたちや、それに賛同する市民がいます。そういった力を結集できる情熱を、尚靖さんは持っておられると感じました。
<能楽のこれから>
さて改めて、これから能楽やまわりの世界がどうなっていくかお尋ねしてみました。
「いろんな世界がゆっくりなってくると思う。おじいちゃんが若かったころのように僕らがもう一回戻していこうとしている。」
「ゆっくり」とは、目に見えないところ(過程)を大事にしていきたいということです。そのためには、具体的にどうしていけばいいのかと尋ねたところ、
「日夜きちっとお稽古をしていけばいい。柔らかくするのは発想だけ。とにかくお稽古をカチッとしていたら、必ずそこに魅力を感じてもらえる。テレビに出るようなことをせんでもいい。」
「アナログがいいという時代は来る。僕たちみたいなのがいれば。」
尚靖さんの迷うことのない言葉。小鼓とそのお稽古に対するまっすぐな姿勢が本当に美しく感じられました。
しかもそのお稽古がすごいのです。
「毎日何時間も打つとかいうのではない。いつも鼓を触りながら鼓のことを『じわっと』考え続ける。例えれば、武士が刀を使うわけではないけれど、いつも手入れをしている、という感じ。」
精神の修業です。例えはとてもわかりやすくて、思わず笑ってしまいましたが、それほどに小鼓のことを「考え続ける生活」=お稽古というのは、実際に打つ以上に厳しいものを自らに課しておられるということなのでしょう。
お稽古のお話でもう一つ印象的だったのは、「新しい発見」ではなく、「古いものの発掘」ということ。
「自分のおじいちゃんから聞いたことを教えてもらい、それをまた自分がおじいちゃんになったときに思い出して伝えていく。だから『発掘』。」
博朗さんは最近新曲を披かれたそうですが、「古い曲のええところを持ってきたりしてね。」やはり発掘でした。そうやって、代々の技と心が受け継がれてきたのです。そしてこれからも今までのとおり、博朗さんから受け取ったものを尚靖さんが次の代に渡していかれるのでしょう。
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さて、(平成25年)4月27日のお誕生日会は、「発信は柔らかく、しかしやることはカチッと」という尚靖さんの意向が生かされ、初心者もわかりやすいものなっているそうです。お祝いの会らしく、おめでたい曲が並んでいます。普段の能楽の舞台では敷居が高いと思っている人も、今回の舞台なら「観てわかる」という思いを抱けるかもしれません。しかも、技術的に一つの妥協も許さない方々の演奏を聴き、舞を観ることができます。入門としてもこれほど適したものはないでしょう。ぜひ初めての方も、ちょっと覗いてみるつもりでご覧になってはいかがでしょうか。今回私が小鼓を聴いて感じた、息がとまるほどの感動を経験してもらえるのではないかと思うのです。
「おじいちゃん 曽和博朗 お誕生日会」
曽和尚靖自主企画≪囃す≫シリーズVol.2
と き:平成25年4月27日(土) 午後二時始
ところ:金剛能楽堂(京都府京都市上京区烏丸通一条下る龍前町590)
電 話:075-441-7222(9:00~17:00)
曽和尚靖さんのHP「プチ・鼓堂」 http://www.p-kodou.com/
レポーター:鳴橋明美
上京区西陣に生まれ育ってウン十年、現在も上京区で主人と一緒に京組紐の仕事をしています。
愛する京都、上京区をさらに深く知ることができるマチレポを知り、ちょっと感想を言うだけのつもりが、レポーターになってしまいました!取材を通じて改めて上京の奥深さを感じ、また、人との出会いに感動しています。これからも未開拓の京都を発見していきたいです